2017年12月9日、暖かい日射しが降り注ぐ休日の平塚市美術館で、市民メディア交流集会(湘南ひらつかメディフェス)が開かれました。メディフェス第一回は、私も以前に関わっていた「市民とメディア研究会あくせす」の津田正夫さんと木野秀明さん(故人)が中心となって名古屋ではじめて開催されたのですが、全国各地の住民参加型番組や先進的な実践と,そうした動きを立ち上げた人びとの志がその場でネットワークとしてつながり、新たなムーブメントが立ち上がるのを目の当たりにした感動がありました。

しかしインターネット時代を迎え、ソーシャルメディアの登場で、誰もが簡単に発信し、つながることができるようになりました。多くの人が、それで十分だと考えるなかで、「市民メディア」的活動には再検討も求められてもいます。若者や新参者をどう巻き込んでいくのか。インターネットをどう活用するのか。そもそもキーボードだけでコンテンツが作れる時代に、わざわざ時間をとって共同的に活動をしていくことに意味があるのかという問いもあるでしょう。

今回の分科会は,主催者の小川が今年9月に訪問した札幌の三角山放送局でのインタビュー調査に感銘を受けたことから始まりました。ここでは「しゃべりたい人だけがマイクの前に座る」をモットーに、逆に言えば、障害があっても、外国人でも,しゃべりたいひとたちを可能な限りボランティアパーソナリティとして受け入れています。ここでは,月に一度,ALS(筋萎縮性側索硬化症)で寝たきりになった患者さん、米沢和也さんも番組を持っています。彼は病院のベッドの上で、視線で文字入力をして原稿を作り、それをコンピューターに記録した自分の声と合成し(ボイスター:自分の残した声で伝達するシステム)、そしてできあがった音声ファイルを、こんどはスタジオで支援者さんが受けとめ、絶妙に合いの手を入れながら会話が進んでいくのです。そうまでして米沢さんが伝えたいこと、やりたいこととは何なのか。そうまでして局が協力するのはなぜなのか。ALSというきわめて残酷な病を患う人びとのメディア発信には個人が個別にソーシャルメディアで発信するのとは異なる,まさに市民メディアの存立意義があるのではないかと感じたのでした。

折しも、私たちが2年間開催してきたNagoyaラジオカフェの企画では、東海ラジオの源石和輝アナウンサーが、ALSを発症しながら前向きに発信を続ける元FC岐阜のオーナー、恩田聖敬さんのドキュメンタリーに関わられたと聞き、三角山の番組とともに聞いてみようということになりました。こうして、Nagoyaラジオカフェが平塚の市民メディフェスに遠征し、分科会を開催することが決まったわけです。ちなみにラジオカフェでは、制作者と参加者が一緒に番組を聴き、付箋に印象を書き込みながら、忌憚なく意見交換し、送り手は受け手のフィードバックを,受け手は送り手からメディアの制作やその背景について学びあうことを目標にしています。

分科会ではまず、東海ラジオのドキュメンタリー「LIFE IS BEAUTIFUL –ALSと共に生きるFC岐
阜社長」(2015.12.27放送)「前略 ALS様、私の残りの人生、あなたには渡せません」(2016.12.25放送)を30分に編集した作品を聞きました。番組は、ALSをめぐる知識と状況説明、そして恩田さんの声と静かなBGMで綴られています。ALSは、感覚は残り続けるものの、随意筋を徐々に動かせなくなる病気で、発症後数年で気管切開をし、人工呼吸器装着をしないと生き続けることができなくなる残酷な病気です。恩田さんは,「昨日まで当たり前にできたことができなくなる。」「想像してみて下さい。どれだけ頭がかゆくてもじっと耐えることしかできないやるせなさを。想像してみてください。自分の子どもを抱きしめることのできない悲しみを。」と語りかけます。食べることが自分の人生にとって最大の楽しみだったのに、ご飯粒が食べにくい。パンが食べられないので、自分にとってはないのと同じ。「会社帰りにコンビニでアイスを買ってつまみ食いした日々が恋しいです。」静かに日常を見つめ続ける彼の声は,  聞き取りにくい部分を含みつつも,その状況の大変さを、私たちに対して、的確に、そして力強く訴えかけます。

ALS患者が置かれたコミュニケーションの問題に関しても彼は的確に状況を綴ります。「文字は怒ってくれません。泣いてくれません。会話には即時性が必要なため,つい,おいていかれてしまう。手足が動かなくても、声が使えればコミュニケーションできるのに。残酷です。心はそのままで、思っていることがいっぱいある。」コミュニケーションの身体機能を次々と奪われていくALSの経験。そしてそうした状況下にあっても、恩田さんは常に生きることに前向きで、社会を変えていくことも視野に入れて発信を続けておられます。

続いて三角山放送局『声を失ってもラジオを続けたい —ALS患者のパーソナリティ 米沢和也さんの挑戦(15分版)』を聞きました。米沢さんは「呼吸器をつけ,まぶたまで動かなくなった場合,何も相手に伝えることができない。そういう状態が怖い。要は誰も何も聞いてくれない。伝えられない。土に埋められた棺桶の中に一人ぽつんといる,そういう恐ろしい恐怖にたぶん耐えられないんじゃないかと思う。でも最終的にはそういう状態になってしまう。」とその不安を静かに語ります。しかし, 当初, 呼吸器をつけてまで人であるのだろうか,他人である妻にそれほど負担をかけられるのだろうかと気管切開に抵抗を示していた米沢さんも,支援者さんとともに番組を続けるうちに,いつか医療が追いつくのではと人工呼吸器をつける決心をし,コンピューターで合成した声「ボイスター 米沢さん」として番組を続けます。三角山放送局の田島美穂さんは,米沢さんのほかにも,視覚障害の方がキューを振動で理解するために局で制作した「ぶるぶるキュー」など,放送のための補助装置をいくつか見せて下さりながら、パーソナリティの多様性を重視した試みについて紹介して下さいました。

参加者の間では,グループごとに番組についての意見交換を行いました。恩田さんや米沢さんの問いかけに対し,多くの方が「自分だったら」と想像され,その恐怖や戸惑いを追体験されたようでした。そのほか,恩田さんや米沢さんとどのようにコンタクトをとったのかといった質問が続きました。

最後にコメンテーターとして,障害とメディア,テクノロジーを専門とされる津田塾大学の柴田邦臣さんから,ALSの彼らの声を,進行性の難病として捉えるのではなく,障害を持つ人の声全般,あるいは高齢者の声を代弁していると考えることができるのではないかという問題提起がありました。

昔,柴田さんがボランティアで携わっていた支援活動で,筋ジストロフィーの中学生女子が初めて携帯電話でコミュニケーションをするとき,最初に書き込んだのが顔文字であったこと。あるいはALSの方のコンピューター使用などにおいては,ご本人や家族,ボランティアなどが相談するなかから,ブリコラージュ的に個人に最適なメディアが作られていく事例などを紹介していただきました。とりわけALSの方は,コンピューターを単なる意思伝達として捉えるのではなく,テレビやラジオ,インターネットというメディア利用の媒介として使ったり,自分自身がメディア発信をしたいという意思が強いという調査結果があるなどコミュニケーションや社会参加への渇望があると指摘されました。そして本来、そういう経験をされてこなかっただけで,もともと障害を持っておられる方も,本質的には同様の欲望を持っておられるのではないかと述べられました。

柴田さんは,さまざまなアシスティブ・テクノロジーをご紹介くださりながら、しかしこうしたアシスティブ・テクノロジーと併存する未来に,私たちがどう生きていくのかという意味は十分に考えられていないのではないかとも提起され,ラジオで取り上げられたお二人の「伝える」姿が,それを考えさせてくれるのではないかと締めくくられました。

本件分科会には,研究者,学生,エンジニア,メディア関係者,NPO職員など,のべ24名の方にご参加いただきました。さまざまなご意見もいただきました。ありがとうございました。

※本研究会は科研費(2015年度15K00464)の助成を得ています。