アウシュビッツ・ビルケナウ
長年行きたかったアウシュビッツ・ビルケナウに行ってきました。ヨーロッパのスタディーツアーの人気目的地になっているようで、思った以上に学生たちがたくさん来ていて、静かに話を聞いている様子が印象的でした。アメリカやイスラエルなどからのユダヤ系の人びともたくさんきておられました。

昨今では生存者のガイドはいなくなったものの、このフィールド・ミュージアムの学芸員(研究者)によって設けられたテストに合格したガイドたちが案内を続けています。案内なしでも回れるのですが、説明がきわめて少ないフィールドミュージアムなので、案内付をお勧めしたいと思います。展示の説明が少ないのは、生存者の理念を受け継ぎ、膨大な遺品と遺構を前に、訪れる人たちの想像力に訴える展示となっているためだそうです。また昨今のポーランド政権をめぐるニュースを勘案すると、説明が少ないというのは、時々の政権からの要望をうまくかわす上でも意味を持つのかもしれません。

何日も立ったまま運ばれ、着くやいなや7割がガス室送りになったレールの終点と窓のない貨車。ガス室。そしてガス室で亡くなった人たちの毛髪。子どものおさげ髪。たくさんの靴にハイヒールが混じっているのは、ユダヤ民族は決して劣った人びとでないという主張もあったとか。そして証拠隠滅のために壊されたガス室。そうした悲劇のストーリーを感じさせる遺物・遺構の前で説明を聞きながら感じたのは、ドイツやナチスなどを悪者化し、そこに責任をすべて被せてしまうのではなく、ちょっとした憤りや差別や不満がたまり、火がつくことで、誰もが加害者にも被害者にもなりうるということでした。収容所はポーランド政治犯の収容にはじまり、虐殺は、生産性のなさを理由に、障害者に始まりました。ですから、一市民としては、小さな火種を見逃さないこと、そして傍観者にならないことが重要だと改めて感じます。昨今の高齢者に対する若者オピニオンリーダーたちの発言にもつながる話ではないでしょうか。

グダンスク第二次世界大戦博物館

ロシアとドイツに挟まれ、常に戦争の最前線となり、分割され続けたポーランドには、さまざまな抑圧の歴史が積み重なっています。アウシュビッツには収容所で亡くなったポーランド人政治犯=抵抗の英雄の写真が一面に飾られていますが、そこにはかなりの割合で女性がいます。わたしには最初、政治犯は男性という、まあ典型的ステレオタイプがあって、なんだか不思議な印象を抱いたのですが、人種主義の下、攻め込まれた際に家や子どもたちを守るというポーランド女性の抵抗も、ナチスの前では政治犯扱いとなったということもありそうです。ゆえにポーランドでは、抵抗は国の独立と結びつく栄光の歴史と繋がっています。

ポスターや書籍、雑誌やおもちゃなど、当時の空気もうまく展示されていて、この博物館には5時間ほど滞在しましたが、十分に見ることができませんでした。それほど充実した内容になっています。また当時のことを一般の人びとが証言する映像がところどころに挟まれ、一般の人びとの置かれた状況やその時の気持ちも共に表現されていました。全体的にはしかし日本に対する記述はとても少なく、なぜか従軍慰安婦問題に展示スペースが大きく(というかほとんど)割かれており、一方で原爆や一般的な戦況、加害や被害等に関する展示がほとんどないことなどについては少々不満が残りました。

ヨーロッパ連帯センター

連帯センターの建物は、当時の造船所の雰囲気を残すデザインとなっています。

東欧民主化にいたる布石となった1980年の「連帯」勝利も、ヴァウェンサ(ワレサ。最近は現地語にあわせてこう表記するらしい。)率いる労働組合の団体「連帯」が共産党管理からの自由を求めた抵抗の運動として、瞬く間に全土に広がった結果でした。

一方、共産党は人心掌握の術も心得ていて、一旦交渉のテーブルに着き、人民の不満をガス抜きした後、すぐ厳しい弾圧に転じます。私たちがぼんやり知っている共産主義下の食糧不足は、単なる計画経済の破綻ではなく、食を通じた管理と統制の結果でもあったそうです。ヨーロッパ、特にポーランドには日本よりはるかに周到で緻密、巧妙な支配や管理の歴史と、それに伴う抵抗の積み重ねがあることに気づかされます。この運動も、当時の教皇、ヨハネ・パウロ2世を巻き込むなど、さまざまな権威を動かし、ソビエト側の事情につけ込みながら展開されていきます。

さてはたして、抵抗、は日本において美徳なのでしょうか。たしかに歴史教科書には何人も描かれていますが、ポーランドのように強く支持される文脈にはなっていないように感じます。

ちなみにヴァウェンサ氏はこのセンターに事務室を持っていて、今も仕事をされておられるそうです。

ホーランドのメディア規制

さてもう一つ気になっていたことがメディアです。ポーランドではこのところメディアの政治介入が止まらないと聞いていたからです。長い戦いののち、自由を勝ち取ったはずのポーランドでまたなぜ?と思うのですが、民主化後、自由主義経済への移行で紆余曲折だったポーランドは、現在、右派が政権を担っており、政治介入はメディアだけでなく、ミュージアム展示にも及んでいるようです。日本と違い(自由主義国はだいたいどこもそうなのですが)、放送は省庁の直接管轄ではなく第三者機関が管轄しているのですが、それでも公共放送は完全にプロパガンダ化しているといいます。話を聞いた全員が「プロパガンダで気持ち悪い」というお墨付き。公共放送を出た人たちは民放に移り、TVNという民放局はそれでも政府への追及の手を緩めず、免許停止直前まで粘り、最後は外圧を利用して回避したそうです。ここにも抵抗の蓄積を感じます。

ウクライナ難民の受け入れ

さてもう一つ気になるのがウクライナ難民の受け入れです。そもそもウクライナからは移民も多く、親族関係がある人も少なくないようで、ことばも近い。そんなわけで市民が自分たちで受け入れを進め、また彼女らも勤勉に仕事に励んでいるようです。ポーランドはグローバル経済のもとで開発が進んでおり、あちこちで工事が行われていますが、移民供給国として人手が足りなかったところにウクライナからの難民が定着してくれたことで恩恵を得ている側面もありそうでした。いずれにせよ、秋の選挙ではまた政権交代がありそうで(と若い世代は期待している)、そこに向けて「戦略的に」我慢をしている人たちも少なくないようです。

クラクフもグダンスクも北欧に通じるきれいな旧市街もあります。グダンスクはかなり東洋からの観光客は少なそうで、情報も少ないと思いますが、ご一緒させていただいた先生方(関西大学経済政治研究所「エキシビションとツーリズム班」)、受け入れ先の皆さまのおかげで充実した旅となりました。ありがとうございました。