20251031日、ゼミに、イラク報道、『Little Birds』などの監督、ジャーナリスト綿井健陽さんに来ていただきました。個人的には、この映画のなかに、私たちに見えていないたくさんのことが描かれているのを感じており、たくさんの人に見てもらいたいと思っています。

さて、綿井さんはまず、NHKの『ドキュメント72時間』のテーマ選びを例に、「ミニマム」であること、すなわち小さなテーマに目を向ける必要性について語ってくださいました。映像を作るとき、たとえば、「歌舞伎町」ではなくて「歌舞伎町の眠らない花屋」、「大病院」ではなくて、「大病院のコンビニ」。ちいさなところに焦点を当てることで、その背景にある世の中を見とおしていく、というご提案をいただきました。このアドバイスは映像制作だけでなく、論文のテーマにも当てはまることと思います。

私たちが戦争を感じるのは、テレビ報道のパネル説明かもしれません。でも「地図と矢印で戦争が起こってる」わけではありません。ガザやイラクの映像を見せていただいたあと、綿井さんは、AI時代においても、場所性と身体性は、結果的に簡単には代替されないだろうと語られ、「これ、なんだと思いますか」と焦げた鉄の破片をわたしたちに手渡されました。なんとなくまだ焦げ臭さが残っているそれは、ロケット弾の破片だといいます。人間の身体はやわらかくて、ほんの小さなかけらでも、これが勢いよくとんできて刺されば、目が見えなくなったり、いのちを失うこともある。まさに、手触りのある小さな戦争のかけらによって、私たちは遠くで起こっている戦争現場や身体の痛みを想像することができたのです。

もうひとつ、「シャッター以前」という言葉についても述べていただきました。シャッターを切るときに、世の中の現状がある程度わかっていないと撮れない。ただ撮影していても、そこで撮るべきものが何なのかが定まらないと伝わらないということでしょうか。現場にいけば人に伝わる動画が撮れるわけではない。普段からのアンテナや知識、現場で事情をとらえる力が問われるのだと言い換えられるかもしれません。

最後に、リポーターとは、ただの情報のPorter(運び屋)ではなくRe(確認し、再解釈して)伝えること。そしてむしろ権力に問いを突きつけること、厳しく聞くことによって、プレッシャーを与え続けていく必要性についてもご説明いただきました。

学生からは、「昨今のショート動画優勢の時代に、報道がどうあるべきなのか。」など思いのほかたくさんの質問がでました。このところ、『骨を掘る男』の奥間勝也監督などともお話させていただき、質問慣れしてきたのがよかったのかも知れません。この調子で偉い人、権力のある人にも臆せず質問できる人たちになってくれるとうれしいです。