2025年7月22日、ハイパーローカルメディア研究会では、オンラインで映画『能登デモクラシー』制作者の五百旗頭幸男監督(石川テレビ)と、石川県穴水町で手書き新聞を発行されている滝井元之さん(あした塾・『紡ぐ』)にご登壇いただき、現在の地域ジャーナリズム、住民と行政・町政監視についてお話を伺いました(10:00-11:30)。

五百旗頭さんの現在

 五百旗頭監督は、『はりぼて』、『裸のムラ』などで、保守的な地域行政や議会の問題を鋭く指摘され、地域民主主義の危機を警告されてきました。現在は、伝統ある石川テレビのドキュメンタリー専任のポジションで番組作りをされています。なかなか採算が取りづらいところではありますが、経営陣等にもその意義がきちんと理解されているとのこと。今回の取材は、前作の関連から、過疎の町、穴水町で起こる素朴な利益誘導に関心を持ち、震災前から続けて来られました。なかなか取材に応じてもらえない中で、手書き新聞『紡ぐ』を発行している元数学教諭 滝井さん(現在80歳)に出会います。

滝井さんと『紡ぐ』

 滝井さんは退職後、悩みを抱えた子どもたちの相談に乗るお仕事もされていました。2007年の能登地震では災害ボランティアに携わり、徐々に復興住宅へのケアが薄れていく中で、お年寄りを放置していいのかという問題意識から、「一石を投じる意味で」この新聞を発行されました。映画の中では、高齢の滝井さんが、精力的に2024年能登地震でも災害ボランティアに携わっておられる様子が描かれています。現在では750部。役所などに配られているものを加えれば、1000部が人口7000人を切る町で読まれていることになります。新聞は滝井さんの手書き、そして仮設住宅や復興住宅で手渡しで配られる心のこもったメディア活動で、時にそこから問題を拾ったりすることもある「双方向」のメディアです。五百旗頭さんによれば、最近では役所や議員さんも無視できない存在になっているのではないかとのこと。驚くべきことに、穴水町内の人、そして町から出てしまった方々からの寄付が年間100万集まるのだそうです。自分たちは言いたいことがあっても言えない。それに対して「よく言ってくれた」「代わりに言ってくれた」との声が寄せられるそうです。「滝井さんだからできる」と言われることも多いようですが、滝井さんは、「自分で声を上げることは難しいけれど、言ってくれる人がいればすがりたいという気持ちではないか」と分析されていました。当初は、議員さんから次の選挙に出るのかと警戒されたり、行政への喝に「町のことは町に任せておけばいい」「ほどほどに」となだめられたりしたこともあったようですが、2020年から現在に至るまで、1ヶ月に1-2回のペースで出版されています(新聞はこちらで見ることができます)。

ローカルジャーナリズムの今

 北國新聞が力を持つ石川県は、例えば隣の富山県とも少し違うメディア環境にあるようで、また能登半島には滝井さんが知る限り、独自のメディアもなかったようです。汚職や問題が起きる町というのは、往々にして監視の目が少ないという共通点があると思いますが、金沢から遠い能登半島もそうした土壌があるのかもしれません。そんなわけで行政監視をめぐるメディア間競争もあまり機能していないのではといいます。多様な要因でニュース砂漠が広がる現在、おそらく石川県だけではないのだろうという気もします。

 五百旗頭さんは、行政監視をめぐって、ジャーナリズムの批判一辺倒なやり方には徐々に抵抗感を感じるようになったといいます。権力監視=首を取る、といった「オールドメディア」のやり方は、どうしても一過性になり、その町の今後を十分に見据えたものではないのではないか、というわけです。地道に平凡な題材を取材し続けることでファクトの本質に辿り着くジャーナリズムを目指すべきではないか。辞職に追い込むようなセンセーショナルな不正の暴き方ではなく、取材の中で間違いや問題を権力者に突きつけつつ、町のありようを変えていく方向で進まなければならないのではないか。そこで今回も、町長や議員に対しては、震災時でもあり、一定の評価もあるので、辞職に追い込むまでのことなのかと考えて、あえてそこまでは追及しなかったそうです。そもそも従来型の「批判」が若者たちに響きにくくなった今、そして過疎が待ったなしの現状では、新たなやり方を模索していかなければならないとのことでした。

 同様の視座は滝井さんの中にもあります。議会や行政には頑張ってほしい。そして町民もそれに対してちゃんと役割を果たさなければならない。決して批判をすることだけが目的ではない。研究会をセッティングしてくださったメディア研究者の村上圭子さん曰く、「叱咤激励」のメディアと言えるかもしれません。学校の先生らしい厳しくも温かいスタンスです。震災、そして県域テレビ局の作品公開を経て、町が少しずつ変わってきているのを感じるそうです。

 一方、五百旗頭さんいわく、滝井さんの地道な長い活動あって、役場の対応も変わってきたとおっしゃいます。こうした市町村レベル、住民視点の小さな「ハイパーローカル」メディアと、広く伝え、行政に訴える力を持つ県域局との連携の事例として注目されます。個人的に、こうした問題は単に石川県や過疎の町だけでなく、日本全国で起きており、そしてそのことに関心が持たれないままに、民主主義の底が抜け落ちようとしている、という危機感を抱いています。

・今後

 五百旗頭さんは、変わりかけている町をこれからも撮り続けるといいます。世界のドキュメンタリーがサブスクやYouTubeで見られるようになり、関心を持つ若者も増えました。滝井さんの活動は、今のところ継承者はいませんが、こちらも若者が徐々に町の政治にも関心を持つようになってきたので、町議会議員の平均年齢が70歳を超える馴れ合いの町議会に若い議員が生まれることを願っているとのことでした。

『能登デモクラシー』はまだもう少し上映が続きます。絶望してしまいそうな災害の後に生まれた小さな希望。ぜひ見ていただき、こうした問題に関心を持っていただければと願っています。